関連人物
土佐時代
坂本乙女 1832(天保3年)~1879(明治12)
「坂本のお仁王様」と呼ばれた龍馬と3歳違いの姉。
和歌や絵画だけでなく、女性ながら剣術や馬、弓の武術にも長けていた龍馬の頼れる人物であった。
1度は嫁ぐが家風の違いから出戻りしてしまう。
龍馬脱藩の際には、家宝の名刀を龍馬に渡すなど2人の絆は深く、様々な所で龍馬を助力していた。
千葉重太郎 1824(文政7年)~1885(明治18)
龍馬が修行した京橋の千葉道場主・定吉の長男であり鳥取藩士。
龍馬に剣術を指南した師匠とされている。
単なる師弟関係には留まらず、龍馬と共に勝海舟を訪問するなど親睦は深い。
龍馬と同じく「北辰一刀流長刀兵法目録」に著されている。
佐久間象山 1811(文化8年)~1864(元治元)
信州松代藩出身の西洋砲術家で西洋砲術を教える塾を開校していた。
この塾から勝海舟や幕臣、勤王など多くの人物を輩出していった。
龍馬もこの塾で砲術を学び、多くの事を学んだ。
象山は公武合体派の開国論社であったため、上洛中に攘夷派に暗殺される。
久坂玄瑞 1840(天保11年)~1864(元治元)
長州藩士の藩医の生まれであったが、松下村塾で吉田松陰の進歩的な思想に共感し、志士としての道を歩む。
松陰からの評価は高く高杉晋作と並ぶ松下村塾の双璧と言われている。
龍馬は玄瑞の影響で脱藩を決意したと言われている。
龍馬との出会いから2年後に禁門の変に参戦し25歳という短い生涯を終えた。
吉村虎太郎 1837(天保08年)~1863(文久3年)
土佐の庄屋(名主)の家に生まれた土佐藩士。
父の後を継いだ後は、近隣の村々を集めて大きな庄屋へと発展させた出世頭。
後に土佐勤王党に加盟したのちに長州藩の久坂玄瑞の思想に賛同し、藩を脱藩する。
玄瑞らと計画した伏見挙兵に失敗し、土佐に投獄されたが、再び出奔する。
出奔後は大和で天誅組を組織し挙兵するが、「八月一八日の改変」により戦死する。
神戸時代
松平春嶽 1828(文政11年)~1890(明治23年)
御三家の田安家に生まれた越前藩主。1838年(天保8)年に越前藩主の座に就く。
開明派の大名であり、西洋式兵制や鉄砲・火薬製造、造船術などを導入、国政にも強い関心を示した。
将軍継嗣問題では一橋派として活動し、勝海舟の海軍塾設立にあたって援助を申し込んできた龍馬に多額の資金を提供している。
参考文献:日本博学倶楽部,2010,図解坂本龍馬の真実 人脈地図でまるごとわかる!,PHP研究所
長崎時代
京時代
江戸時代